吉川かおり「食べる人間」

Kaori Yoshikawa "Humans that Eat"

2017年11月11日(土) - 12月10日(日)

土日: 12:00 - 18:00 

11 sat.November - 10 sun. December, 2017

Saturdays and Sundays: 12:00 - 18:00

 

 

GALLERY IND.では、吉川かおりの2年ぶり2回目の個展「食べる人間」(“Humans that Eat”)を開催いたします。

吉川かおりは、絵画、写真、映像、音楽、パフォーマンスなど多岐にわたる表現方法により、また言語、音声、身体など様々な表現媒体を通してその詩的世界を展開しています。その活動の一つ一つは、日常の見慣れたものや、移ろいゆく相をもとにしながらも、一旦それらを波打つ水面に映る歪みや揺らぎを伴った諸相のように変換させ、日常の向こう側へと越境、侵入させていこうとする取り組みのようにも見えます。作品のモチーフや材料として用いられるものも、それらがもともとはそれほど価値を持つものでない場合でも、吉川かおりの作品世界の中では、その実体や本質が大きく異化、変質させられ、そこにはまだ開示されていなかった価値が、独自の美的感性のもとに付加され、提示されていると言えるでしょう。

前回の個展では、平面、オブジェ、映像作品等を総合的に展示いたしましたが、今回の展覧会は、最新の写真作品を中心に構成する予定ですので、是非ご高覧いただけましたら幸いです。

  GALLERY IND. is pleased to announce the solo exhibition by Kaori Yoshikawa (b.1982). Kaori Yoshikawa is a multidisciplinary Japanese poet whose career encompasses deep explorations of a wide range of mediums, including drawing, painting, photography, moving image, assemblage, performance, music, sound, voice, and so on. This time, the artist features photographs.

Most of her creations are based on everyday life, made up of everyday objects, but she successfully  makes them look quite different by distorting their essential qualities or setting them in the circumstances or situations beyond the realm of our daily life. Under the influence of her aesthetic sensibility, things around us seem to take on their dissimilated features, unusually characterized by the catabolism of their own nature.

We hope you will consider coming to see her unique, inimitable works. 

 

 

 ARTIST STATEMENT

From within a fast moving car we hear the sound of cicadas. We call it 'a sound and not 'sounds' because it seems to be one and continuous. In fact, unlike the Snowy Tree Cricket that chirps in sync, the sound we hear is a chorus of cicadas that do not synchronize their singing, yet the speed of our travel allows us not to distinguish them as individual noises.

Our nausea results from the inability of the human brain to comprehend the movements of transit. We become sick from the swell of the sea because of the disturbance when what we experience is not in unison with our own movements.

 

One hand washes the other and both hands wash the face said the superintendent."

 

Humans that breathe. Humans that sit. Humans that sleep. 

 

Again,

This is not something being crossed out but something being written over a line.

 

ジ   ジ   ジ    ジ  ジ      ジ  

 

スピードを出して走る車の中(、外)からセミの声が聞こえる。その声はひとつの継続的で絶え間のない音に聞こえる。

その音は息のぴったり合った声ではなく、聞こえるのは息を合わせないセミの合唱だが車の速さではひとつひとつ独立した音とは認識できない。

 

乗り物酔い(nausea)は人間の脳が乗り物の動きを完全に理解できない結果だ。体験している事の認識と現実にある自分自身の状態の差の混乱、波の膨らみ、に酔う。

 

「ひとつの手がもうひとつの手を洗って両手が顔を洗う、と警視が言った。」

 

呼吸する人間。座る人間。眠る人間。

 

ふたたび

これは線が引かれたものではなく線の上に書いたものだ。

 

 

 吉川かおり

1982年  兵庫県生まれ

1983年  渡英

2005年  セントラル・セントマーチン芸術大学(ロンドン)卒業

2009年  帰国、大阪在住

 

個展・グループ展等

2017年 - しゃっくり (Okurart/大阪での三人展)

             - Searching for the Absurd: Cock-a-Doodle-Doo

              (Galeria Fernando Boada Martin, Havana/キューバでの三人展)

2016年 - 此花というより梅花、ハバナ (Nooo Kitty/大阪での二人展)

             - NOOO KITTY (gallery and events spaceを大阪で開始)

     - ART OSAKA  (ホテルグランヴィア大阪でのアートフェア)

             - SOLO CLUBBING (FUKUGAN GALLERY/大阪での個展) 

2015年 - ECSTASY IS SOLITUDE (GALLERY IND./奈良での個展)

             - Shelf the Selfishness (GALLERY IND./奈良でのグループ展) 

2013年  - BAR KITYY y FAT KITTY TEA & HERBS (大阪で開始)

2012年  - UTINTON RECORDS (大阪でのオープンスタジオ運営)

              - INSIDE OUT (Artzone/京都での個展)

              - LOST GLOVES (ロンドンでの路上プロジェクト)

2011年  - MORI (此花メヂア/大阪での個展)

             - MEDIAS CONNECTION VOL.2 (此花メヂア/大阪でのグループ展)

             - AT HOME AT VASELINES (Vaselines/大阪での個展)

 

Kaori Yoshikawa

1982  Born in Hyogo, Japan

1983  Moved to The UK

2005  Graduated from Central Saint Martins, University of Arts London

2009  Moved to Osaka, Japan

          Lives and works in Osaka

 

- Exhibitions

2017   - SHAKKURI (THREE PERSON EXHIBITION), Okurart, Osaka, Japan

           - ESTADO DE BUSQUEDA LO ABSURDO: QUI-QUI-RI-QUI (Searching for the Absurd: Cock-a-Doodle-Doo) (THREE PERSON EXHIBITION), Galeria Fernando Boada Martin, Havana, Cuba

2016   - KONOHANA TO IU YORI BAIKA, HABANA (TWO PERSON EXHIBITION), Nooo Kitty, Osaka, Japan

           - Started NOOO KITTY gallery and events space, Osaka, Japan

           - ART OSAKA (ART FAIR) Hotel Granvia, Osaka, Japan

           - SOLO CLUBBING (SOLO SHOW) Fukugan Gallery, Osaka, Japan

2015   - Shelf the Selfishness (GROUP SHOW) Gallery IND, Nara, Japan

           - ECSTASY IS SOLITUDE (SOLO SHOW) Gallery IND, Nara, Japan

2013   - BAR KITTY y FAT KITTY TEA & HERBS (Space) Osaka, Japan

2012   - Running UTINTON RECORDS open studio, Osaka,Japan

           - INSIDE OUT (TWO PERSON EXHIBITION) Artzone, Kyoto, Japan

           - LOST GLOVES (STREET PROJECT) London, UK

2011   - MORI (SOLO SHOW), Konohana Medias, Osaka, Japan

           - MEDIAS CONNECTION VOL.2 (GROUP SHOW) Konohana Medias, Osaka, Japan

           - AT HOME AT VASELINES (SOLO SHOW) Vaselines, Osaka, Japan

 


福西広和「凝集する瞬間」

Hirokazu Fukunishi "Cohered Moment"

2017年10月7日(土) - 10月29日(日)

土日: 12:00 - 18:00 

7 sat. - 29 sun. October, 2017

Saturdays and Sundays: 12:00 - 18:00

 

 - 同時展開催会場: もずみみはらのアトリエ

画家、彫刻家の保田龍門(1891-1965)氏が建て使用していたアトリエ

〒590-0811 堺市堺区南陵町3-4-8

JR阪和線上野芝駅より徒歩約10分(約800m) 

*ページ下の地図をご参照ください。

info@pomo.cc

https://www.facebook.com/mozumimihara

 

 

GALLERY IND.では福西広和(1971年大阪生まれ)の個展「凝集する瞬間」を開催いたします。

写真家、写真哲学者としての福西の考察は、ものを見るということの本質とは何か、それを考える上での写真の可能性とは、また美が現前する瞬間とはいかなる瞬間かといったことへの絶えざる興味と探究心から発しています。

見るという行為は、眼に映るものや現象の全体を均等に捉えているのではなく、ある部分を見ないことにしながら成り立っている行為ですが、福西の作品は見慣れたもの、習慣化しているために意識的には捉えていないものの総体から、個別のものや現象固有の特性に光をあて、その抽象的性質を写真という具体物へと首尾よく鮮やかに転化させているように見えます。

様々なものや現象を二次元の画面へと翻訳し、定着させる福西の視点とスタイル、またその基底にある独自の視線と思考の断片をお楽しみいただければと存じます。

尚、今回の展覧会は大阪府堺市にあります「もずみみはらのアトリエ」との共催となっておりますので、合わせてご高覧いただけましたら幸いです。

 

GALLERY IND. is pleased to announce the solo exhibition by a fine art photographer, Hirokazu Fukunishi(b.1971). Fukunishi has given careful consideration to a problem of what seeing something is. By means of photography, he brings his ideas into focus on the moment we come at beauty, the way we find it, and by extension what the act of seeing is.

He captures the objects, lightening them against the dim backgrounds, as if he was scooping them out of everyday things with his hands. We can find in each of his photographs the essence of individual things extracted from what we have already got used to.  

This exhibition is simultaneously hold at GALLERY IND.(Ikoma, Nara) and also at Mozumimihara-no-Atelier(Sakai, Osaka). We will show different types of works at either venue, and we hope you come to enjoy both.   

 

ARTIST STATEMENT

- 個展コンセプト

脳裏に過ぎる既視感は何を示しているのか?

見たことの見えていたはずの見えないことは見ることを触発し続けている。

What is the real nature of "déjà-vu", something "already seen", which sometimes comes across my mind?

Something I seem to have already seen or I must have, but I still cannot see always inspires me to keep watching. 

 

- 個展コンセプトの拡張による虚構

《ある写真哲学者の思考断片》

「光」

秩序のある関係性から秩序のような何かを感じられることを選ぶのではなく、目撃した生成に存在の性質を刻印するということ。シャッターを切るとき、見ることがその刻印となるのであり、同時に自らの内面に刻印することになる。

精神は、光によって、記憶への意志を抱くことができるだろう。

 

「露出時間」

生成は瞬時に過ぎ去ってゆく

それは、いつも単純に眺められ、とても明快であり、曖昧さとは無縁で無矛盾な 見ることに伏在し、その都度、様々に現れる何かである。そして、それらが有るという確信を仄めかすだけでも消滅してしまうような幽かに感じられることだという前触れだけを残しつつそれらがあるのを感じている。

 

「持続/残響」

何かに出合ったとき、突如として脳裏に浮かぶ戦慄にも似た予感の徴が響いている。それが、効果を発揮するのは、その感覚が残っている間だけなのかもしれない、、、

 

「2つの混同」

1,ヒュームによれば、習慣とは観念の連合であり、長い時間をかけ積層的に繰り返されてきた古くなった印象の結合である。そして、それらは形成された習慣に適合しなければ、意味のない空虚な組み合わせでしかない。写真において、その結合が、ある恣意的な事物の関係を結びつけるのに必須である場合、偶然は必然と混同されたままである。

2,もし、自己自身が自己によって見いだせるならば、自己以外を認識する必然性は皆無だ。というのも習慣から習慣を批判的に扱えるのは、そこから逸脱(出来事が生起)したことを消滅させるときだからである。それは、論理的な置換に似ている。ここに認識と再認の混同がある。

 

「調和」

近年これほど、忌み嫌われた概念はないかもしれない。なぜなら、それを「喪失」したことを喪失していないことから表さなければならないからだ、、、、

 

《ある写真家の述懐memo》

習慣の埒外にある出来事は、誰にも見向きされない。というか、もし、感じていたとしても、それらを表すことは難しい。

見て感じた何かを、「言葉」にしないということは、言葉で現すと変質してしまう何かがあるのを察知している状態になっているのではないだろうか?

それとも、写真家としての『仮面』が、それを許さないだけなのだろうか?

何れにせよ、『自意識』を超えたところからの「声」が「言葉」にするのを抑制しているのだろう。(恐らく「写真」にすることも、、、)

そのとき既に(言いそびれた)言葉であるというのに、、、まるで「言葉」にしないのが言葉かのように、、、

それは、ソクラテスのダイモーン?

もしかすると、写真は、その(失われた)『時』を見出していることに賭しているのかもしれない。

そんな、終わりのない自問自答を果てしなく続けているような気がしてならない。

 

 

 

福西広和へのインタビュー記事  

インタビュアー&ライター:髙田和哉氏(京都写真美術館)

https://www.facebook.com/kyotofotomuse/

京都写真美術館ウェブサイト

https://kyoto-muse.jp/


ギジェルモ・デ・アンヘリス個展

"Small inner landscapes"

2017年8月28日(月) - 9月24日(日)

土日: 12:00 - 18:00 

Guillermo De Angelis solo exhibition

"Small inner landscapes"

28 mon. August - 24 sun. September, 2017

Saturdays and Sundays: 12:00 - 18:00

 

- 同時展開催会場: もずみみはらのアトリエ

画家、彫刻家の保田龍門(1891-1965)氏が建て使用していたアトリエ

〒590-0811 堺市堺区南陵町3-4-8

JR阪和線上野芝駅より徒歩約10分(約800m) 

*ページ下の地図をご参照ください。

Open: 土日12:00-18:00

info@pomo.cc

https://www.facebook.com/mozumimihara

 

 

 

 GALLERY IND.では一昨年、昨年に続きアルゼンチン出身の写真家ギジェルモ・デ・アンヘリスの3回目の個展を開催いたします。

デ・アンヘリスはマドリード(スペイン) 滞在の約10年間に建築、デザイン、哲学を学びアルゼンチンへ帰国、その後2016年に再度スペインへ渡り現在バルセロナに活動拠点を置く写真家です。

作品は全てスクエアのフォーマットに収められており、この正方形が画面を構成する様々な要素の共鳴を引き出す最も効果的な枠組みだと考えているようです。

日本には俳句や短歌の伝統があり、目の前の事象を予め決められたわずかな言葉の枠組みの中で描写しながらも、そこには詠人のスタンスや感情とともに普遍的な意味といったものも詠み込まれています。元来、写真が得意とするのは個々の事物の具体的な差異を一見してわからせることであり、そうした普遍的な意味を表現するのは困難だと言わざるを得ません。しかしながら、デ・アンへリスの写真が示しているのは、一枚の写真も具象と抽象が折り合う画面の中で普遍的な意味を持ちうるのだということです。

尚、今回のギジェルモ・デ・アンヘリス展は大阪府堺市にあります「もずみみはらのアトリエ」との共催となっておりますので、合わせてご高覧いただけましたら幸いです。

 

 GALLERY IND. is pleased to announce the solo exhibition by an Argentine fine art photographer, Guillermo De Angelis. Born in Rosario, Argentina, he lived nearly 10 years in Madrid, Spain. After having studied architecture, philosophy and design, he is currently a photographer, he says, due to destiny or karma. De Angelis has ever presented all of his photographic works in square format. This square format, in which the shape and the relations among the elements of the composition get a special prominence, highlights serenity in harmony with his pictures. In his quiet pictures, and also in the titles of the works on which he puts much importance, we can find a certain kind of insinuations or implications sent out, transmitted to us by the gesture rather than by the signal, by whispering rather than by shouting.

In the tradition of Haiku, a type of traditional Japanese poem, we can catch a glimpse of reality and truth just in the limited words with the framework of five, seven, and five syllables. If we don’t doubt that art is a struggle to present the unity between the concrete and the abstract, we can find a number of excellent examples in haikus. Likewise, if you seek for the harmony between the physical and the metaphysical, you can find it in the world of Guillermo De Angelis.

We hope you feel a stunning silence and peace in his work.

 

ARTIST STATEMENT

 After doing architecture, design and philosophy I dove into photography. With the sort of enthusiasm that drives you to move forward, or better still, inwards. Hoping to discover within, rather than outside myself, what I am trying to show. I choose to take pictures not prepared. I try to get the expression through the economy of resources. Focusing on the details that  strike me as essential. Suggesting clearly, presenting without describing.

建築、デザイン、哲学を経た後、写真の世界に飛び込みました。前進するように人を駆り立てる、又はそれ以上に人をその内面へと向かわせるような熱を感じていました。自分が表現しようとしているものを自己の外部にではなく内部に発見できることを望んでいます。私は写真を撮影する際には特に準備をしないようにしています。様々な無駄を排した表現をするようにしているのです。細かな描写はせず、本質的と思えるものに焦点を当て、示唆に富んだ表現をするように心がけています。 

 

 

後援:駐日アルゼンチン共和国大使館

 

 

 


Berta Sesé Exhibition "Ether's Chimies"

 ベルタ・セセ個展 "Ether's Chimies"

2017年4月3日(月) - 5月7日(日)

土日12:00 - 18:00

Berta Sesé Exhibition "Ether's Chimies"

3 mon. April - 7 sun. May, 2017

Open: Saturdays and Sundays (12:00 - 18:00)

 

 

 GALLERY IND.では昨年に続きバルセロナ (スペイン) 出身、現在パリ(フランス)に活動拠点を置くカタルーニャ人アーティスト、ベルタ・セセの二回目の個展"Ether's Chimies" を開催いたします。

ベルタ・セセは2002年にバルセロナの服飾学校を卒業後パリへと渡り、2013年まではファッションデザイナー、スタイリストとして活躍していました。その間も絵画、写真等のビジュアルアートへの関心は強く、2014年からは自身の作品制作に専念しています。彼女の仕事は、絵画と写真という、彼女自身にとってはその境界がないように思える相互補完的なふたつの表現媒体の間を行き交います。前回の初個展では、"Micro Cosoms"シリーズから写真作品を展示しましたが、今回の個展では、"Ether's Chimies"シリーズから油彩作品を展示いたします。共に主題としているのは、エネルギーと霊性、光と色彩、宇宙の象徴的理法の神秘などです。

 ベルタ・セセの絵画は、鮮烈で自由な色彩によって鑑賞者を沈思と瞑想へと誘い、恰も磁力が働きキャンバスの中心に精神が引き寄せられるかのように、絵画の視覚的調和が静寂と平穏の空間を開きます。

"Ether's chimes" (天空の化学的性質)という絵画シリーズは、化学元素が振動する遊動を造形的に解釈したもので、人が感覚の上限で捉えられる天空の光や色彩のように浮流する宇宙的な力との調和を示しています。このシリーズでは、宇宙における人間の位置についての意識喚起が提示されており、そこに現れる宇宙的エネルギーが私達を包み込もうと手を伸ばし、また魅了します。その意識によって私達は真の旋律に気づく可能性があることが示唆されていますが、その旋律とは、私達の存在を宇宙の調律と融合させ、私達を宇宙全体の能動的な一つの要素にしているものです。

 元来、etherという語は、天空の輝きと天空の上層を象徴するギリシャ神話に登場する神々の一つを指す言葉として使われていました。etherには常動的な性質があり、それは熱の性質や、ひいては人間の性質にも重なります。空に出現するオーロラは、太陽から放出される電磁的粒子と地球の大気圏上層部のガス状粒子が衝突して生まれるものですが、etherという言葉が元々は神話や伝説と関わりがあることを考慮すれば、この科学的現象を霊的、あるいは、聖なる、または詩的な観点から捉えることも可能です。様々な化学元素が自然の色彩との調和を保つとき、その振動の知覚を通して化学は詩へと生まれ変わります。出展作品のタイトルは、このような一連の分子の色彩、及びメンデレーエフの元素周期表とその色彩との符合、地球の磁極付近に位置するいくつかの地名に導かれるようにしてつけられています。

 

ETHER’S CHIMIES

 GALLERY IND. presented artist Berta Sesé’s photographic work for the first time last year and is pleased to showcase her pictorial work in a new exhibit. The artist’s work alternates between painting and photography, two complementary mediums which are linked by parallel themes that she addresses here: energy and spirituality, light and color, the mystery of symbolic order, and the approach of the cosmic.

 The intense and free colours of Sesé’s painting invite the viewer into contemplation and meditation. Visual harmonies open up a space of calm and peace, like a magnetic force pulling our inner psyche toward the heart of the canvas.

 The series "Ether’s chimies" is a plastic interpretation of the vibrating dance of the chemical elements, in harmony with the cosmic forces that hover like a set of ethereal lights and colours at the limits of our perception. This series offers to generate—through its own strength and will—an awareness of our place in the universe. The cosmic energy thus revealed reaches out to embrace us, creating a sensation of fascinating attraction. This awareness offers us the possibility of finding the true note—the one that harmonizes our existence with the melody of the universe and makes us an active element of the Whole once again.

 Originally, the word ether referred to one of the primordial deities of Greek mythology, who symbolized the upper limits of the sky, as well as its brightness. The ether has the characteristic of being always in motion. It is the principle of heat, and therefore of life. The famous aurora borealis observed in ether is caused by the collision between the electro-magnetised particles emitted by the sun and the gaseous particles of the upper atmosphere of the earth. This scientific phenomenon can be looked at from a spiritual—or even sacred or poetic—perspective, given the ether’s association with myth and legend. Chemistry becomes poetic through the perceptible vibration of the elements as they form harmonies of natural colors. These sets of molecular colors and their correspondence to Mendeleev's table of elements, followed by a geographical location, guided the artist’s titling of the work in this exhibit.    

 

 

 

 

後援:

在日スペイン大使館 Embajada de España

インスティトゥ−ト・ラモンリュイ Institut Ramon Llull


堂東由佳 展「隠れ気味」 Yuka Doutou Exhibition

2017年2月27日(月) − 3月26日(日)

土日:12:00 - 18:00 

 27 mon. February - 26 sun. March 2017 

Open: Saturdays & Sundays (12:00 - 18:00) 

 堂東由佳の作品は、イラスト風の手描きドローイングをPC上でブロックごとに分割、集積などを行い原版を作成、シルクスクリーンによってプリントされた版画作品です。遠目に引いて見ればオールオーバーに広がる細密模様のようにも見えますが、近くに寄って見れば、原画のキャラクターが持つある種の軽妙さやユーモアが感じられます。又、元々何が描かれていたのかが判別できないくらいに、モチーフを重ね合わせ、塗りつぶし、歪めながら元の素描に手が加えられている部分もあり、画面上の特定の箇所に視点が定まらないような不思議な感覚に襲われます。

 GALLERY IND. is pleased to announce the solo exhibition by silkscreenprint artist, Yuka Doutou (b.1983). In Doutou's works, most of the motifs are highly characterized, and some of them are so tightly packed that we can hardly distinguish clearly what is depicted on the surface while seeing them in a distance. On the other hand, when we examine them up close, unexpected images such as cats, butterflies, or riceballs appear before us. Also, the multiple combinations of them give us a feeling of humor, funniness, loveliness, or sometimes even a little eeriness. According to the circumstances we feel them, they seem to take on a quite different look. We hope you would enjoy them both at close range and in a distance, searching for the best position to see them.   

 ARTIST STATEMENT

可愛らしくもあり、不気味でもあるキャラクターのようなドローイングを、再構成、配置し、パターンを反復、密集させる事によって画面を作っています。

制作の過程では、離れて見たときと近くで見たとき一枚で二度楽しんで貰えたら有り難いという気持ちと、折角近くで見たとしてもイメージが細かすぎたり、複雑で判別できないという半分意地悪したいような気持ちが同時に有り、そのような悪戯な気持ちと共に制作しています。

自分の頭の中にある「呑気な時間、嫌な予感」というキーワードに不穏さや、殺伐としたようなものを感じ今はそれを心地よく感じています。

シルクスクリーンはドローイングを再構成、配置し、パターンを反復、密集させた後、アウトプットするのに使っています。

シルクスクリーンの工程は自分にとって半分遊んでいるような要素もあると感じ、その気持ちと自作のテーマとがマッチしているので、この技法をを使って制作しています。

近作では、ドローイングをさらに塗り潰したり、パターンを規則的に反復させずに画面を作ることを試しています。

I make my works by means of silkscreen printing on the basis of the drawings of my own making. First, I draw some characters which look lovable but somewhat awkward. Then, I arrange them on the screen of my PC, putting them together or setting them apart from one another again and again.

While I’m at work, I always think of the right distance for the viewers to see my works. But sometimes I deliberately make the images not clearly visible or undistinguishable, with the details too small or too complicated. This is partly because I’d like the viewers to see them both at close range and from a distance, and also partly because I like to play a visual trick on them. 

Motifs of my works are expressed in a laid-back mode but with rather an uneasy feeling. To express one of the main themes in my creation − carefree days, with a bad feeling, for example, I frequently employ the images of cats suffering as a result of bleeding, diarrhea, vomit or fever, trying to create both a swallowing air and an eerie atmosphere at the same time. I like the process of silkscreen print making, through which I think I can produce a lot of works without difficulty and express such a  feeling most effectively.